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ファースト・ライブ・イン・ソウル

First Live In Seoul
cosmos records/CMCA 2004/2001年(初リリース 1997年)
3,000円(税別)

1996年9月10日、ソウルの大学路にあるライブ劇場で行われた、文字通りソウルでの初ライブ。
韓国語と英語。NHKハングル講座でうたったうた多数収録。

 

TRACKLIST:

01 アメイジング・グレイス(ジョン・ニュートン:詞/バージニア民謡)
02 リッスン・トゥ・マイ・ヴォイス (沢 知恵:詞/曲)
03 私はだれでしょう (沢 知恵:詞/曲)
04 恋のはじまり (沢 知恵:詞/曲)
05 最初と最後のラブレター (沢 知恵:詞/曲)
06 韓国のうたメドレー 兄を想う-故郷の春-統一の歌
07 シング・ユア・フリーダム・ソング (沢 知恵:詞/曲)
08 ザ・ライン (沢 知恵:詞/曲)
09 ここにも (沢 知恵:詞/曲)


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アルバム〈フー・アム・アイ?〉といっしょに聞くと倍楽しめる「きょうだい」みたいなライブCDです。ほぼ同時期に録音されたし、かぶっている曲もあります。ただし、こちらは韓国語です。

バンド活動が軌道になってきた1996年のお正月。突然「韓国でうたってみたい」とひらめきました。母に伝えると、知り合いに連絡を取ってくれて、話はトントン拍子で進みました。9月10日ソウルの大学路(テナンノ)に決定。私は胸が高鳴りました。デビュー以来、洋楽志向だった私は、ライブ活動をするうちに日本語の美しさにめざめ、アジアに目を向けていました。

決まってからが、さあ大変。韓国で公演をするには、特別な申請手続きが必要だというのです。「イルボンカス(日本の歌手)。」半分韓国人で、幼いころソウルに4年間住んでたんですけどー。国籍が日本なら日本人だそうです。めんどくさい書類をたくさん書いて、領事館に行きました。

公演許可が出たと思ったら、今度は日本語でうたえないというのです。私は知りませんでした。韓国で日本語のうただけが禁止されていたことを。ああ、そういえば、と母も思い出したかのように言い、じゃあ、がんばって全部韓国語に直すしかないわね、ということになり、オリジナル・ソングをかたっぱしから訳していきました。あらま、不思議。翻訳とは思えないくらいしっくりきたんです、韓国語が。まるで初めから韓国語でつくられたみたいに。本人が言うとあやしい? 韓国の人たちも、みんなそう言ってくれました。私がつくったメロディーは、期せずして日本語も韓国語も自然にあてはまるようになっていたという「世紀の大発見」をしました。制約がなかったらわからなかったことです。

こうして迎えた「ライブ劇場」での「ファースト・ライブ・イン・ソウル」。コンサートができるようにアレンジしてくれたチョ・ヤンウクさんの広報宣伝のおかげで、会場は満員になりました。最前列には祖父と交流のあった高名な詩人や、当時文化体育部(日本の文科省)の大臣も。日本から追っかけで応援に来てくれたファンの方もいました。

うたい始めると、お客さんは大盛り上がり。われんばかりの拍手です。《リッスン・トゥ・マイ・ヴォイス》からうたう、うたう。初めてなのに、1節を聞いておぼえると、2節からうたっちゃう。どちらがステージでどちらが客席なのかわからないほどです。日本のおとなしい観客とはおおちがいで、戸惑いつつ、だんだんテンションが上がっていきました。みつさんのベース、えいちゃんのギター&パーカッションもノリノリです。

北朝鮮の人たちに自由を、とうたう《シング・ユア・フリーダム・ソング》、そして《ザ・ライン》で最高潮に。「世の中には目に見えない線がたくさんある。その線を越えるのは私。そして、あなた。」日本と韓国、北と南の間にある線を思いながら、感極まってしまいました。

アンコールの前に、私は客席に向かって語りかけました。「今日日本語でうたうことがゆるされませんでした。いつかみなさんに日本語で聞いてほしいうたがあります。もともと朝鮮の詩で、祖父が日本の人たちに伝えるために翻訳したものです。そのうただけは、韓国語に翻訳し直すことができませんでした。ことばとメロディーが分かちがたいからです。今日はそのうたを、ラララ~でうたいます。」客席からは、「日本語でうたっていいぞー!」「うたわせてやれー!」というヤジが飛びました。私は淡々と《こころ》をラララ~でうたいました。その冒頭の部分が、アルバムの最後に納められています。《こころ》を日本語でうたえたのは、2年後の1998年、日本の大衆文化開放宣言が出た直後の光州でした。

このアルバムのおかげで、私はNHK教育テレビのハングル講座で1年間うたのコーナーを担当することになりました。《私はだれでしょう》は講座のテーマ・ソングでした。ッチャ、チャララ~♪

マイ・ベスト3

1 ここにも 沢知恵:詞/曲
シンガポールの街角でできたうたです。世界のここにも、そこにも祈る人、踊る人、愛する人、うたう人がいるって。日本語バージョンがCD化されたのは、なんと14年後の〈ライブ・アット・ラカーニャ秋〉です。ながっ!

2 最初と最後のラブレター 沢知恵:詞/曲
韓国でうたうと、評判がいいんです。バラード好き? 日本語はアルバム〈愛してください〉にあります。

3 韓国のうたメドレー
幼いころ韓国でおぼえたうたをメドレーにしました。みつさんとえいちゃんにも覚えてもらってうたったら、お客さん大喜び。日本人が韓国語を話すのは、いまでもとても喜ばれます。ハングル講座で《統一の歌》をうたったときは、朝鮮学校の子どもたちといっしょにうたいました。

Tomoe

Tomoe Sawa First Live in Seoul

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